2004年も今日が最後、、、
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(2004.12.31)
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今年はいろいろありました。アガスティアの葉関連でいえば、2004/3―4月の「カンチプラムの葉は作られていました」という事件が一番、私にとって衝撃的でした。おまけにほとんど名前について質問していないのに10分で名前を出す「作り方」まで伝授していただきました。もし、カンチプラムのシリニバサンが1バンドル目に絶対に出さず、2バンドル目に(裏で名前を彫りこんで)葉を出せば、今後、誰も、彼を疑わないであろう、と、今でも思ってしまう。 今回、ヴァディスワランコイルのシヴァサミーの父アルムガンの実兄、といわれる「サダシヴァンの館」にて、モニター検索を行ってみた。まだ、質問の内容までは確認は行ってはいないが、4バンドル目に、その人物を特定しようとする動きがあった。一度目では「行的」にはクリアしていたのかもしれないが、彼が名前として読めなかったため、捨てることとした。そして、その後、何度か名前についての質問後、同じバンドルの中で彼が再度「名前の確定」に入ったので、そこで「よし」にすることとし、はっきりと読み取れる接写写真に収めた。4バンドルまでいっているので、ほとんど、聞かれているにはいる。時間的には1.5時間である。もし、葉を持っていないのであればいくらでも裏で書き書き彫り彫りしようと思えば、できるかもしれない。が、サダシヴァンの館にての、つっこみは一切やめ、1章のみの依頼なので、それをお願いだけ、した。 その写真を持って、サダシヴァンの実弟、シヴァサミーの館へ行き、カルティックたちに読むように伝えた。でっかい虫眼鏡を持ってきて、一生懸命に読もうとしていたが「読めない」と、彼はいい、そして「これはうちの葉ではないでしょ!」と、言った。確かに<君のところの葉ではないが、同じ系列なんですけど、、、お宅の館はどうなってるの???>と、心の中では思ったが、みやぢは大人になったので、静かに「違う館の葉だよ」と、終わらせた。 その後、12/13、13/14/17章のプージャ後、私はその写真をマニバサカンに見せそして「これを読んでくれ!」と、がらがら声で言った。マニバは最初「??。どこの館のだ?」と聞いてきたので私はにっこり笑いながら「あんたのグルジ・サダシヴァンの館の葉だ!読みなさい!ごほごほごほごほごほごほ。アルムガンの息子はシヴァサミーで、アルムガンの実兄はサダシヴァン。そのサダシヴァンの奥さんの姉妹の子供があんたで、サダシヴァンはあんたのグルジなんでしょ!何を習ってきたんだ?!笑ってないでさっさと読みなさいー!!!ぺチン<手の甲を叩く(あー、マニバごめんよー。ほんとはこんなこと、したくないんだよ。でも、これが私の仕事なんだよ)>ごほごほごほごほごほごほごほごほ」(あー、なんでがらがら声でこんなこと、してなきゃいけないんだよ!!でも、声が出てる。明日はこれで悪化だ、、、。と、思う。)カデールが水でも飲みなさいと、勧め、カメラを見る。みやぢは風邪のど飴を口にいれる。カデールはそこで、タミル語の発音について説明を始めた。まわりのナディリーダーたちもそんなことぶつぶついっている。が、「そんなことはしっとるわー。どんだけ、代行をやってると思ってるんだ!そんな説明はいいから読めー。読んでから、説明しろ!ごほごほごほごほごほごほ。じゃー、行でもいいから、読み上げろー!!ごほごほごほごほ」。ぼろぼろになりながら、続いた。本人の名前と、父親の名前は、非常に似ているのと、私が途中で言ってしまっていたため、母親の名前を読み上げるように言い続けていたのだが、最後、仕方なく、母親の名前を伝え、「その名前はどこにあるんだー!」となった。すると、写真でペンで刺されていた場所より、前にそれらしく読める!というではないか!カデールはその名前を紙に書き、写真と比べるように言う。???わからん。私はタミル語など読めない。(が、似てるかも、、、似て、、いる、、、と、おとなしくなるみやぢ)。カデールは「この写真は名前の位置がずれているのがだめなんだよ。ちゃんと、下に線を引くなり、囲うなりしなきゃ」と言われた。「じゃ、これは他の館でも読める?」と聞くと「位置がはっきりしていたら、読める。ただ、ペンで指している場所ではなく、その前のところに名前はある」と、言っていた。「じゃ、次回、どっかの館で試してくるわ」と、終わった。そう、完全なる答えは出てはいないのだった。そしてサダシヴァンの館が万が一、作っていたのであれば、この話はすでに連絡が行っているために同じ調べ方は通用しない。 穏やかな雰囲気になったとき、マニバとカデールは「なんで、そんなに疑うんだ?他の代行者は満足してるぞ!」と聞いてきたので「XXが最近、ここの館を一生懸命使い出したのは、シリニバサンが作っているって私が言って、カンチプラムが使えなくなってきてるからだよ。私も今回のカンチプラムは、前回の1/10のお客さんになったよ」と、言ったらカデール爆笑。「君の葉は当たってないのか?」というので「私はここの館が好きだし、別に外れてもいないから、問題はない!けど、こっちはお金をもらっている!それが問題だ。おまけに7―8年前に開いた人たちの中に完全に外れている人もいるじゃないか、、なんで??」その答えは「その葉がその人のものじゃない場合か、その人たちは、きちんと13/14章ができていないか、実際にそのお寺に行く必要がある人物もいる。指定されるお寺に行くことでしか得られないパワーがある。ちゃんとしていればほとんどの場合、1―3年ずれることはあっても当たる」(と、言い切った)。確かに本物があることは知っているみやぢは、とりあえず引き下がった。夜中の11:40過ぎまでこんなやり取りが続き、ものすごい咳のために水はなくなっていた。帰る車もカデールたちに止めてもらった。 さて、今回、葉を作ったことがある、または、改ざんしたことがある!と完全に認めたナディリーダーが二人出てしまったと、私は一度、この掲示板にて載せた。これについて、どう表現してよいのか、いろいろと迷うところである。神秘だけにすがるような人にはおそらく、信じることなど出来ないからだ。なぜなら、その館は「本家」そして、「本家のシヴァの葉」「Aランク(その他の館はBランク以下)」とあがめられ、「霊的な人」が開くとおだてられている「シヴァサミーの館」での話だからである(この本家・Aランクのシヴァの葉を開くだけで、霊的な人とお墨付きがもらえるわけなのだ)。私はこの旅の初日、シヴァサミーの館へ行った時、あるところからいただいた情報を元に、カルティックに率直に「1週間で50章を開いて翻訳をもらう依頼を受けたときに作りましたね、そして、その後、XXXをしましたね」。と、聞いたら即答で「イエス」とのみ、彼は答えました。逆に私のほうがあまりの速さに驚きました。私はなぜ、そんなことがやってのけれたのか、理解することが出来ず「なんで、そんなことをしたのか??」と静かにただ、尋ねました。カルティックはそのときを思い出したのか、涙を浮かべただけで、何も答えられませんでした。なんでお金のために自分もXXも裏切れるのか、、、そして、もう一人、認めることになったのは、翻訳者であるマニさんでした。彼は8月に手を怪我したらしく?!家で翻訳をやっているようで、電話でのみ、話しをしたのですが、同じ質問をマニに言い<「君たちには気をつけなさい」って私は言われているよ!>と、伝えたところ、すべてを察知して爆笑していました。そして、その話しの裏にある数年以上ぶりに聞く真実について、非常に喜んでおりました。そして、4月にやってもらった私の「シヴァの葉」の残りの翻訳を8ヶ月たってもやっていないので、喜んでいないで早く作らずにやってね!と、伝えておいた。 ※なお、私のシヴァサミーの館でのお客さんは現在「完全モニター」としてうけた一人のみであり、今回続きを開いてもいたが、回収の自信がないので「一年以上回収にかかるかもしれません」と、伝えてあり、それに対しても「OK」をいただいております。私がこの館で、代行を行うにあたり、非常に厳しいものがあったのは事実です。なぜなら「代行者ではなく、研究者」であるために、お金になるどころか、何を言われるか分からない人物です。実は「おまえに問題を与えるぐらい簡単だ!」と某所のナディリーダーにブラックマジックをかけるぞ!とじきじきにご指名で脅されたこともあります。最初、カルティックに出会った2004/4、彼は「葉に書いてあれば、君と一緒には仕事は出来ない」と言ってきた。私を館に出入りさせないことなど、非常に簡単で「検索するだけして、ノートに書かない、または、翻訳をしない」などずーっとやっていればよいだけなのである。それもあり、前回モニターとして開くこととなった人の続きを受けるにあたっても、こちらも「一年以上かかるかも」という条件を入れることとなってしまった。そこまでの条件をつけなければ受けれない状態だった。が、結果的に、恩寵により回避していただくこととなり、それらの問題で悩む必要はなくなった。(なお、このモニター君のノートだけは書いてもらったのとプラシュナの答えだけはもらったので、最悪、他の館での翻訳は可能にはなっている。しかし、他の代行というか、代行&同行して葉を開くということをしているHさんに会ったが、その人の話を聞くと、1年以上前にお願いした分が出来ていないそうだし、個人で行った人なども、回収できずに困っている人も多々いるようだ。自分の葉の一部<10章分>すら回収できないのに、とても人の分など受けれない。これがあの館の今の現状です。)本家本家とあがめてももしかしたら、、、。そしてあの葉も、、、、、。作り方やいろいろな裏の話などを知るにつけ、葉自体が大切ではなくなってきた。その先にあったもの、そのことのほうがもっと重要なのであった。 「おまえは葉が本物とか偽物とか、そんなちっぽけなことばかり考えていないで、もっと自分について考えなさい。もっと自分自身強くなりなさい。もっともっと動きなさい。世界のために出来ることがあるだろう」 これを読んでいるあなたたちすべてに対して、同じように伝えたいと願っている人がいることを信じてください。(神が共にあることに気づいたら強くなって、とても楽になりますよ。) 最後に、ここに書かれていることは、おそらく、限界か、限界を超えた話しが入っている。話してはいけないことが私にはあるため、すべてを今、話すことはできない。それゆえに、意味がわからないこともある。じゃ、いつか、話せるのか?と、誰かは聞いてくるかもしれない。それについてはたぶん、私ではなく、他の人が他のところで話すのではないか、、、、と、今、私自身は感じている。その話しが、私の話の続きとして気づくかどうかはわからない。その続きを知ることが出来るのかもわからない。しかし、それらの話を知る前に、自分について考えておく必要があるのではないだろうか?自分について考える「WHO AM I?」などはどうだろうか?「I AM I」には答えなどもあるが、はっきりとさっさと体得してしまいたいものである。 |
お昼はカレーを作りました
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(2004.12.29)
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今回、ご注文いただいた皆様への「みやぢブレンド」を確立させるために適当にいろんなスパイスをにんにくとジンジャーと共につぶしました。 そのスパイスを炒めているだけで「うーん、カレー」。色は赤でも黄色でもないのに、「カレーな香り。まー素敵」!。ふんふん、ふんふん、としながら、芋カレーを作りました。さといもと、さつまいもと、ほうれん草という、いかにも、その辺にあったものですが、マンゴーピクルスを添えて食べました。うまい!!これはうまい!!このすっぱからさがカレーのうまみを引き出します!(そういえば、今回、カレーセットをお買い上げの皆様には「レモンピクルス」または「マンゴーピクルス」のどちらかをお入れいたします。私はどっちも好きだわよ。) と、遊んでばっかに見えますが、現在、翻訳はバンガロールが1/15ぐらい進みました。これからバンガロールは一回休んで、カンチプラムをやろうかと思います。 バンガロール組みへ 13―14―15章を全員終わったら、それをまず、全員一斉に送ります。その後、1章からやって、全員1章が終わったら、1章をメールします。ばらばらに開いた方はその章が来るまでメールは届きません。また、続きなどで、後半を開いている方は、1―15章が終わるまでメールは届きません。今回はそのような方法にて、平等にやっていきたいと思います。 あと、モニターでやらせていただきました「なくなった人の葉」というものだけ、皆さんお参りなどなさりたいでしょうから、先にメールにて送りました。 カンチプラム組へ ほとんど終わっているのですが、一部、終わってないので、これから、DHLの箱からテープを出して、残りをやろうかと思ってます。できれば、年内にカンチプラム組みの分は送ってしまおうかと、思ってますが予定は未定です。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あくまでもメールで届くものは「仮翻訳」ですので、最終チェックで内容がちょっと変わるかもしれませんので「聞いていたのとちがーう」となるかもしれません。ご了承ください。(だから、「仮翻訳」と、わざわざ呼んでいるし、時間かけてチェックを何度もかけるのです)「本翻訳」といわれるものはあくまでも「製本」したもののみです。 |
スパイスの(偽)女王・みやぢさんお勧め!カレーセット!
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(2004.12.28)
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Kさん:「みやぢさん、カレースパイス2000円分がほしいです!」 ほしいものがあれば、お知らせください!というご希望にお答えして、通常、お土産で差し上げている以上のインドならでは!の、素敵な香りのカレースパイスを入手してまいりました。もしかしたら、日本の海外食材屋で買えるかもしれませんが、金額もそこそこ、かかるかと思います。 スパイスの(偽)女王・みやぢさんがインドより厳選いたしましたさまざまカレーセットをKさんと同じ金額の2000円にて、販売します。 インドに行かれたことのあるあなたなら、もう一度、食べてみたい、「マサラセット4−5点<インドの本物スパイス王の会社のスパイス含む>」「サンバルパウダー」。そしてぺろっと舐めたい「チャツネ(ピクルス。これをスプーンいっぱいカレーに添えるだけでうまさ倍増。うんまーーーっい!)」!。さらにはインドのカレーには必ず入れる、なんとびっくりうれしの「カレーリーフ(おおーーわんだふる!!実はこれが一番、今までインドにいっていて、入手したくてもなかなか出来なかった!みやぢさん自身も今回初入荷!)」の7−9点は絶対にお入れします。その他として、みやぢさんがブレンドした香り高いさまざまな某スパイスを調合したミックスもお付けします!これをいためて普通のカレーにいれるだけでも、高貴な香りがカレーからしてきて、食欲を誘うこと間違いなし! ただ、「チャツネ(ピクルス)」が重いのと、スパイス販売企画の予定がなかったため、数量3のみ(売れて残0。早速のお買い上げ・自称カレーマニアMさんいわく:今回のカレーセットはとても魅力的!実は昨日も今日もディナーはカレー。12〜13年前初めて食べたピクルスは一口食べたら「なんじゃこれ!」っていう独特の味だったけどカレーといっしょに食べるとこれがまた旨いっ!!ちょっと懐かしく思い出しちゃいました。)。ほしい方はご連絡ください。一度食べたらまた食べたい味になること、間違いなし!(でも、なかなか手にはいらなーい)。 indonomiyaji@yahoo.co.jp カレーセットは完売いたしました。ありがとうございました。今回頼んだ人!絶対にお得よーーーん! (常にベストな商品を探してくる)みやぢ貿易でした |
バンコクのみやぢです!9
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(2004.12.23)
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歩き疲れました。疲れました。早く日本に帰りたい。PCも直してもらったので、体調をみながら、翻訳作業をすすめたい。あ、もうじき、年末年始だ。休みだ。みんな、ごみーん。年末年始は翻訳も休みだった。 これから、タイマッサージでも、受けてこようと思います。 |
バンコクのみやぢです!8
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(2004.12.22)
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まだ、バンコクのみやぢです。飛行機の予定で日本にはまだ、戻れません。が、さすがにいいホテルにばっかりはいられませんので、カオサンにお引越しをしました。部屋に入った感想は「あれ?こんなに汚いところにとまってたっけ?」。450Bのシングル朝食付。ま、どうせ、寝るだけだもん。いいのさ。 今日はインドで買った、シロップ風邪薬が切れたので、バンコクシロップ風邪薬を買ってみました。イチゴ味。熱はないけど、咳だけがすごい。相変わらず、ごほごほ言っている。早く直りますよーに。 あとは髪の毛を切った。10cmぐらいきった。すっきりした。人にドライヤーを当ててもらい、髪を梳いてもらうのはいいね。40日以上、ドライヤーなんてもの使っていなかったので、近代的な感じがした。 そういえば、NHKで「冬の新茶」が取り上げられていたようだが、その産地がオーストラリアの「ワンガラッタ」というところだったのがちょっと嬉しかった。ワーホリ時代、超ど田舎で八百屋に行くのにもヒッチハイク的に手を上げ、とおりがかった人に乗っけていくような所で、今でも仲良しの韓国人「りーあじゅま」と、30cmもあるでかいカプシカン<ぴーまん>を収穫しつつ、オーナーの見えないところで投げてぶつけ合って楽しんだ場所なのだ。<思ったのだが、あじゅまりーは観光ビザで入ってきて、ワーホリビザと一緒に働いていたのだが、そういう韓国人は英語が良く出来た。そして、マイナーなところを見つけてこっそり働く。働く?と教えてもらって私もマイナーなところへ行ったのだ。最初にあった場所はケアンズの下のカードウェル。これまた、マイナー。ライチのパッキングで知り合った。そこへ行ったのも英語が良く出来る観光ビザ韓国人と知り合いになり、行ってみたのだった。みやぢはひたすらそこでライチを食べまくっていたが、貧乏旅行をしていたあじゅまリーは必死に箱詰めをしていたのだ。箱詰めもそこそこのみやぢと、箱詰めあじゅまりーの不思議な出会い。<一箱5kgつめると1.5オーストラリアドルもらえた。あじゅまりーは100ドルちょっと稼いだが、80ドルちょっとのみやぢ。それでも80ドル。割のよい仕事であった>その後も、これまた知らない場所をあじゅまりーが見つけてきてぶどう収穫アルバイトも一緒に行ったのだ。そんな場所の一つでお茶を作っていたとはー。と、びっくりしたのだ。そして、バンコクでも最近は「緑茶ブーム」。ペットボトルのお茶がファミマやセブンイレブンで買える。が、喜んで買うと「砂糖入り」。おえー。が、しかーーし、最近、POKKAのウーロン茶がついに、バンコクでも売られるようになった。シンガポールにはあったのだが、バンコクではみていなかったのだ。コンビニならファミマのみで買えることがわかったので、ファミマご愛用。7、11にて「台湾緑茶」という茶色いお茶を買ったら砂糖が入っていた。台湾のお茶にも日式のお茶にも砂糖が入っている確率のが高い。よよー。 やっぱり、東南アジアで買うなら、現在は、POKKA OOLONG TEA が一番うまいかも、、、 ※写真は、よその家の子になった「ふく」(ぼやー!)新聞紙のおうちにこもってるらしい。お友達のるるちゃんが飛び乗って遊んでいたそうだ。 |
バンコクのみやぢです!7
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(2004.12.21)
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今日は、目の検査に行ってきました。一週間後検査です。MRTに乗りました。そしたら、スカイトレインより10Bも安くて早くて駅が近かった。乗り換えもないし、、、 で、病院いって、日本人の子にカプチーノを出してもらって、ちょっとしゃべくる。自分で上手にシャンプーとかしてたよー!と、やり方を説明。眼帯も寝るとき最初の3日間ぐらいしか、しなかったかな。めんどくさくて。問題ないよ。 視力検査して赤いラインぐらいまで見えている!とのことでOK。でも、現在は、レーザーで傷をつけているわけなので、そこを治癒しようとしているため、乱視がちょっと出てきている。そのうち、直るらしい。半年は様子みてね!だそう。 その後、院長チェック。お久しぶりー!と、英語で世間話を交えながら、チェック。「グッドグッド。傷口も治って。前と変わらず小さい目だよ」と、ギャグを言ってる。でも、院長はとっても忙しいらしい。日本人の子に「もう、いくよ!」みたいに出される。「院長はほんとに、忙しいんだから!(とっても人気)でも、楽しそうにいつも診察してるよ!」と、普段は、笑いもなくまじめな感じでやってるそうだ。おそらく、手術中の「ぴかちゅうの歌でも、、、」とかのやりとりなど、ないだろう。残念だったのが、ちょうど、風邪をひいて声があまり出ていなかったことだ。出ていたらそこでみやぢは日々、一人常に練習を重ねていた「ぴかちゅー」「ぴかー」「ぴかぴかぴかー」を披露していたのに、、、。(ぴかちゅうの声は世界共通。吹き替えされてません)それだけが、心残りです。 その後は、スカイトレインにのって、サイアムスクエアで下りて、ぶらぶらして、8番ラーメンいって、やることないからホテルに戻りました。 ※1翻訳はちょろちょろ進んでます、、、咳しながら。 帰国するぐらいには、もうちょっと風邪も治っているかと思います。目の検査も終わったので、カオサンにお引越しでもしようかな。 ※2写真は、よその家の子になった「ふく」(ぼやー!)お友達のるるちゃんとと一緒にダンボールを破壊中。 |
バンコクのみやぢです!6
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(2004.12.20)
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今は、カオサンに来ています。ふらふらーっと、市バスでね!(やっぱり!)。インドから出るとき、預けた荷物が28kgもあって(どうりで歩けないはず!)、背中に2Lの水+PC+カメラ+ビデオなどなどあって、たぶん、40k近いだろうからということで、POST OFFICEから送ることにした(バンコクからはいつも郵便局。ちゃんと届く。インドからの郵便局はちょっと、、、ね、ちょっと)。で、ホテルのそばだと、ソイ4にあるらしいが、知らないところだし、どうせ、乗り物にのって、移動しなければいけないから、一気にカオサンまで来て、いつもの「ぶちゃいく人形や(普通のおみやげ物や。ここには必ず人形がある!)」へ行った。 み「おばちゃーん!」 お「<あーーー!!!!>」にこにこにこ!握手握手! (おばちゃんは耳が悪く、しゃべれない) み「人形ほしいんだけど」(と、寝転ぶ人形のまね) お「<あーあー>」と、奥のほうから出してくる。 (たぶん、ほかに買う人はいないようで、私のためだけにおいてあるような感じ。それでもセットにきちんとなっていたのは少ない。 お「今度までにまた、仕入れとくよ!」と、ゼスチャー 最後、おばちゃんはタイのお土産用のお香をくれた。いつも、ささやかにおばちゃんはなにか、くれるのだ!うふ! 今回は、あまりにも「ぶちゃいく人形」というからか、依頼はすくなかった。ので、いつもなら「タイカレー」のお土産をいれるのであるが、そこでの象のお香立てを買っておいたので、お楽しみにー。かわいいよ。アショカトレーディングのお香にマッチ!(といっても、今回はスティックではないダルシャン) で、ホテルから持ってきた荷物と買った荷物をそこに預けて(どこにでも預けまくるみやぢ)スーパーへ行った。スーパーでは通常<<タイカレー>を買うのだが、今回は買わず、いつのまにか勝手にアシスタント:佐藤が外国のお菓子大好き!なので、適当に見繕う。うまーいインスタントラーメン!とか、外国の香り:柔軟材とか、適当に籠に入れる。(佐藤の翻訳代は物納?!) で、おみやげ物やに戻って、荷物をピックして、郵便局に行ったのでした! 買い物好きのみやぢが、いつのまにか勝手にアシスタント:佐藤へのお土産のスナック菓子やらインド、タイランドの香り製品(外国にいけないから、香りだけ、楽しみたいそうだ(笑))をあげるのに、全部手持ちではもって帰ってこれないからどうせ、送らなきゃいけないので、そのついでのみやぢ貿易なのでした。 みやぢ貿易からのお知らせ みやぢ的幸福のつぼ!(またまた出たー!) これをもつと、幸せになる!という怪しさ100%の霊感商法的な壷とは違い、ただ、単に、みやぢさんが選んだ「インドの壷」に「幸福」と名前だけを付けたもの!です。これに、サイババがシルディサイババのお祭りのときにやる、<壷からビブーティ>にあやかって、壷をひっくりかえすとサイババのアシュラムで売っているビブーティ袋がごろんと、出てくる仕組みになってます!(ほしい方は2袋でも別にいいですよ)前回同様幸福の1壷=3000円 ※なお、サイババビブーティ(アシュラム内で買ったものしかもってません)の販売は<販売するようなものではありません>ので行っておりません。葉を開いたり、カルマ解消などしたり、14章のお守りの発送がある方には、小さい子袋に分けてですが、おすそ分けしております。 |
バンコクのみやぢです!5
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(2004.12.19)
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ただごほごほしててもしかたがないので、ベッドでごろごろしながらごほごほしつつ、翻訳を開始しました。まあ、ちいこいPCですが、打ち込みはめちゃめちゃ早いみやぢはあっというまに、4章分終わらせました(13−14−15章だから短いだけ)。 この方、14章の最後に、サイババに夢で会う。また、直接会いに行く!と書いてあった。行くのか??ま、行きそうな感じな人だ。行って来い!行くのじゃー!!そして、がんばってファーストラインに並んで、手紙でも渡してくるのだー! にしても、相変わらず咳き込んでいる。えらいよー(名古屋弁:意味:苦しいよー。この注意書きをいれないと<みやぢさんって偉い人>と、勝手に出世させられてしまう)。しかし、これだけ咳き込んでいるにもかかわらず、昔のように一切、喘息が出ないというのは、不思議なものである。喘息もちだったみやぢは、風邪をひくと一緒に喘息。笑いすぎて気管支を刺激したら喘息。一生懸命走ったら喘息。夜中なぜか突然、喘息。とまあ、喘息はお友達だった。毎晩のようにおかん、または、おとーは私を病院に連れて行った。大人になるにつれ、喘息率は減っていったが完治というわけにはなかなかいかないものだったが、なぜか、インドに行くぐらいから、一切出ていないのだ。 正直、まあ、ごほごほ、いまだ、微熱が続いているのであるが、過去の最悪な時期を体験してきているだけあって、これだけ咳き込んで、気管支を刺激しているにもかかわらず、ぜーぜーひゅーひゅーと呼吸が乱れて、息が出来なくなる苦しさ(息が出来なくて涙が出るんですよ。あのころの私を思い出すと自分がかわいそうです)というものがないので、私自身としては、こんな状況でもとても満足をしているのだ。ま、こんなところにこんなことを書くので仕方がないのだろうが、勝手に心配を募らせないでね。みやぢは本当に元気なんです。(風邪を引いてるのに鼻がおかしくなっていないため、味がわかるんですよ。ほんと、ありがたいねー。きひひ。タイ料理うまー!どこいっても、多分、うまーっと言っているみやぢです) |
バンコクのみやぢです!4
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(2004.12.18)
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調子が悪い、、 PCのFDDの調子が悪いようで、フォーマットしてるのにほかのPCからそのFDが見ることができない。あーあ。残念。日本に戻ったら、データ拾ってから再度、HDDフォーマットとかしよう! 体調はというと、昨夜、ごほごほごほごほと、咳が止まらないから、熱を測ってみたら37ちょっとあった。ああ、私ってばまだ、一応、病人だったんだ!と、安心。薬を飲んでゆっくりねることにした。 ホテルのTVは海外用NHKが見れるので、便利。日本語と英語が入り乱れてのTV(二重放送なのかもしれないが、TVにそれを切り替える機能がないため、英語だけで流れたり、日本語だけで流れたり、両方ながれたり、、、)だが、病人の退屈しのぎにはいいかもしれない。昨日初めてちらっとのりちゃんの婚約者を見た。婚約発表を心待ちにしていたのに、訃報が流れた。 まあ、いつも、NETなどで日本&海外のニュースは押さえているのだが、テレビもまた、いいもんである。 なお、日本*ドイツとか、ザスパなどのサッカー映像は権利などの問題でみれませーん。 |
バンコクのみやぢです!3
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(2004.12.17)
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今日は、、、 目の痛みも引いてきたのですが、かぜは完治してはいないので、ごほごほしながら、のんびり過ごしています。翻訳でもやろうかなというところですが、ちいこいノートパソコンで、手術したばかりの角膜を酷使するのはかわいそうなので、ごろごろしています。ごろごろと、昼ねをしていても、突然、咳き込んだりして大変ですが、ま、なんとか、なおりつつあります。 一時期は、あまりにも咳き込みすぎて、はきそうになるぐらい苦しかったし、お腹が筋肉痛になるわ、声はでないわで、ぼろぼろでしたが、かぜのほうもよくなりつつ、目のほうも痛みが減りつつ、と、帰国までには元気になっていることだとおもいます。 余談ですが、うちのヨームの「ふくちゃん」(本名:ふくふく)は現在、翻訳者さんの家から(おい)出されて、うちの近所のEちゃんの家でお世話されてます。(昼間だあれも、いない翻訳者さんの家でいらいらして、毛引き(自分で羽をむしる行為。HPなどで探すと写真が見れる。場合によってはかわいらしさが半減以上してしまう、飼い主にとって恐ろしい行為)でもされたらシャレにならないため、一時的、かまってもらえるおうちの子にしたのさ)ちょっぴり会話&芸ができるふくちゃんは、Eちゃんの家でも人気者。が、相変わらずEちゃんのおかーさんは非常にかまってくれるため、ふくちゃんは嫌気がしたのか「だめでしょ!」と、二度ほど諭されたようだ。ふくちゃんは朝と夜だけいる、Eちゃんのおとーさんがやっぱりお好きなようで、あとの人たちにはただ、面倒をみさせてあげている、芸もたまにしてあげよう、なんか、しゃべっておこう、、、という感じなのだろう。 大型インコは脂粉(人によってはアレルギーの原因)がたくさんでて大変なのだがお風呂にもいれてもらって羽もさらさらになったらしい。つめ切りしたり、と、ケアも大変なのですが、大型インコならではの動きなどなど、楽しい! 20年以上、ほしいほしいと、願い続けたかいがありました! みやぢ貿易からのお知らせ なんと、あの「結婚できちゃう人形(ぶちゃいく人形)」の復活を願うメールが届きました!今回はやらないんですか???と、申し込みまで頂き、、、、。笑いの提供はうれしいものです。金額はいつもと変わらず人形2対で1500円。なお、あまり売られていないものですので、数を確保できない場合もございますのでその場合はご了承ください。 さて、みやぢはタイマッサージでも受けて、ぼろぼろの体の疲れを取ろうかな、、、 |
バンコクのみやぢです!1(痛い話が載っているので嫌いな人は見ないように)
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(2004.12.15)
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今日、朝、たぶん、6時ごろにバンコクにつきました。時計を合わせてなかったのと、確認もしなかったので、たぶん!ということです。せっかく、バンコクまで「ビジネス」で来たんですが、爆睡してたため、一回だけ食事は取ったんですが、二回目はもらえませんでした。とほほのほ。 ただ、飛行機に乗り遅れなくてよかったです。夜10:15の飛行機なのに、空港についたのが。9:40。そっからチェックインして、イミグレを抜けようとしたら「君、なにやってるの!もう、ゲートしまってるよ。」といわれ「ごめんー。のっけてー!」「何時に来たの?」(さすがに<今>とはいえず、わからないふり。ソーリーとだけ、何度もいう)。係員が来て、あと3分おそかったら完全にアウトだからね!みたいなことをいわれながら、待ち時間一切なく、飛行機に乗り込んだ。あーよかった。で、最後、マニバに電話して「ばいばいー」と伝えたのだった。 で、いつもなら「カオサン」「安宿」なんですが、今回だけは<用事>があるため、空港にてそこそこのASOK駅そばのホテルを選び、タクシーで向かった。で、さっそくお風呂につかる。久しぶりのバスタブはいいねー!あかすりすり!アカスリミットですりすりする。で、お昼ね。その後、近所の屋台でタイのラーメン?を食べて、7.11でお買い物。 午後2:10に「TRSC」にて予約を入れてあるのでそこにASOKからスカイトレインにて向かう。10分遅刻だが、ここはバンコク。バンコク時間もゆっくり流れる。問題なし。 で、「BNH病院」での検査表<HIV問題無し用紙>を渡す。これですべての準備がそろった。で、説明を受け、お金を払って、順番を待つ。 そう、10年ぐらいずっとやりたい!いつか、やる!と決めていた当時は「RK手術」その後、進化して「PRK手術」になり、現在は「LASIC(レーシック)手術」。あの、青山さんがめがねをはずしてすぐぐらいの「ご講話」をたまたま聞いたのだが、彼がやった手術(たぶん彼は無料)も「LASIC」だと思う。その、手術の時が来た。 この病院には、ちょっと前から日本人の通訳も在住するようになり、また、日本の視力回復手術で有名な「南青山」にある「アイクリニック」と同じ、または、それ以上の機械がおいてあるそうで、アジアでは、シンガポール、中国、日本、そして、アメリカ、ヨーロッパ、などなど「インターナショナルレーシックセンター」と言ってるだけあって、この分野ではかなり有名らしい。私の手術の前後の人たちも西洋人系であった。 私の順番となり、中にはいる。ばたんと倒れる椅子に寝転び、瞳孔を開かせる目薬?だとおもうけど、それをさされる。3度ぐらいささされる。手術室の中から「ビビビ、ビビビ」とレーザーの音。あー、順番がくる!どきどき。 で、ついに、呼ばれてしまった。で、目をむりむり開かせるために機具をいれるのだが、ちょっとその機具がいれにくいため、「PRKにするか、ちょっと目の端を切るか」ということになった。もう、すでに、一ヶ月まえの検査の時からそういう話が出ていたので(ほとんどの人、99.99%以上の人はそんなことする必要はありません)「PRK」をして、1週間痛みを引きずるより、一瞬の痛みを取る!と腹をくくっていたので、「切る!LASIC!」。そして、注射で麻酔が打たれた。これが痛い!「痛いよー!アイ フィール ペイン!痛いよー!」と、まぜまぜして言ってみるが、院長は笑っている。大丈夫大丈夫。通訳の子も切る!のを見るのは初めてだといっているので「よかったねー。いい経験だねー」。 み「痛いよー」 院「ポケモンの歌でも歌ってなさい」 み「しらないよー」 院「タイ語の歌でも歌いなさい」 み「コープンカー。サワディーカー。コープンカー。サワディーカー。」 院「グッドグッド」 とかいってるうちに、笑いの中、切られ(ちなみに今、見ても切ったのか、わからない)、機具を入れられ、角膜をくるっと、1箇所残して切られ(缶コーラのプルタブみたいな感じ)ぺろっとめくられる。(あー、青山さんが講話で言ってた「ぺろっとめくられるのが分かる!」というのが、確かにわかる。)角膜がなくなってもぼやーっと見えるんだーと、 で、「赤い光を見ててね。動かしちゃゃだめだよ!」と言われても、もう、どこ見てるのか、わからない。ビビビ、ビビビと、レーザーを角膜をめくった中の目に直接、当てられる。 その後、角膜を元の位置にぺろりんと、戻すのだが、それがかゆくてかゆくて「目がかゆいよー。鼻水がでる!」それを通訳の子が訳して院長に伝える。「たれながしてなさい」みたいな感じでタイ語で言っている。通訳の子は「いいよーっていってるよ!」と、笑う。 途中、咳き込むことなく、無難になんとか、終わった。起き上がったとたん、たまっていた鼻水がでる。「はながみはながみ」。あまり、痛くないとは聞いていたが、めちゃめちゃ、痛く(非常にまれです)、手術室を出たときは、もう、涙ぼろぼろ、鼻水だらだら。次に待っていた西洋人の人が私を見て、看護婦さんに「ちょっと、痛いんじゃないの?大丈夫??」みたいなことを言っていた。それを聞いた私はちょっと喜び、「痛いよー」と、鼻をかみかみ、英語で独り言のように言った。 その後、眼帯みたいなのをつけられ(穴が真ん中に一つと、周りに9個あるだけのもの)、待合室に向かう。痛くて目が開かない。眩しく感じて目が開かない!じゃなく、もう、目が痛くて開かないのだ。で、涙がでて、それがまた、しみて、悪循環。目と連動している鼻もしげきされ鼻水だらだら(なお、私は二人ぐらい手術直後の人を見たが、眼帯をつけているぐらいで、普通にしていた)。日本語通訳さんも「大丈夫かな?!」と、今までみたことないぐらいのひどい状態っぽい。待合室でぼろぼろ、だらだら、させながら座っていても仕方がないので、ホテルに戻ることにした。タクシーを用意してもらい、行き先を伝えてもらう。カオサンは昼間はタクシーがその通りに入れない(ように思う)ため、カオサン入り口でおろされたとき、歩いてホテルまで戻る!は大変だろうということで、ホテル入り口まで横付けできる、そこそこいいホテルにしたのだった。知り合いもここで受けたのだが、手術後は穴からは見えるよ!といっていたけど、私の場合、目が開けれないぐらい痛いため、最悪。目が突然まったく、見えなくなるということは怖いもんで、病院を出る前から、右のぽっけに50バーツが2枚。左のぽっけに20バーツが4枚。と、通訳のおねーちゃんに財布から出してもらって用意してもらわなければならないぐらい、何にもできないのだ! タクシーに乗っても、どこはしってるか、わからない。ちらっちらっと、目をあけてみるが、痛くて開かない。「いたいよー!(でも、PRKにしなくてよかった)」と、思いながら、車はそれでもすすみ、5時ジャスト、ホテルについた。フロントの人がびっくりしていたが「LASICの手術したの」といったら、すぐに通じる。ボーイさんが部屋まで連れていってくれる。通訳のおねーちゃんは「部屋についたら、睡眠薬のんでさっさと寝た方がいいよ」といったとおり、動けないから寝た方がよい。さっさとベッドに潜り込んだ。 8時ごろ、いったん、目がさめ、鏡でみる。で、ほんとはいけないんだけど「両目、眼帯をはずす」。切られたところもわからない。そして、外を見ると、よく見える。痛みもない。「あーよかった!」と、位置を直して、再度、眼帯をはる。昼間に買ったマンゴーを食べ、もらった睡眠薬を飲んで、再度寝たのだった。 ※用語説明 PRK手術「レーザーを直接、角膜を削って、屈折率を直す。角膜を直接削るから痛いらしい。(片目を受けた友達談:1週間は転げまわる痛さ、だそう)」 LASIC手術「角膜を一部残して、くるっとまあるく切り取りめくり、その後、めくった中の眼球をレーザーで削る。で、めくった角膜をも戻す。通常痛みはあまりない。事実、一日たった現在は、ちょっとたまにちくっとするぐらい)」 なお、どちらも、同じレーザーマシーンを使うため、金額はバンコクでは同じで、最終的には結果は同じです。 |
今日は、、、実は最終日
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(2004.12.14)
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今。15:16.もう少ししたら、マニバのところへいって、わからないところなどをきいたりして、終わります。で、空港向かって、バンコクです。結局、マニバのところの翻訳者がタイピングにトライしたため、(タイピングが非常に遅く)時間をロスして、英訳が一部、終わらなかったので「DHL、POST!」とか、言っている。(ま、そんなに時間はかからないことは知っているし、どうせ、私がタイピングをしても、やはり、いろいろと、チェックなどなどしてタイピングは時間がかかるから、急いでもらっても仕方ないから、別にいいのさ。)また、ペンでもゲットしてくるんだろう!(ちなみに私は昨日、荷物を送ったのだが、ペンではなく<DHLの腕時計>があたった。自慢げにマニバに見せてやった) が、マニバはマニバで「バラジ」のところへ行ったようだが、自慢げに「VIP。朝行って、一時間並んで、夕方にはバンガロール」とバラジのダルシャン後に誰でももらえる「プラサード(スウーツボール)」をマニバももらってきていて「あげる」といってくれた。崩れてボールじゃなーい!!。(きれいなボールのもあるよ(奥に)と、マニバはいっていたが、そっちはくれなかった。) そんなかんなで、午前は部屋中にちらかした荷物をかばんに詰めてご飯食べに行って、これから、お気に入りの<コーヒーデイ>にてコーヒー飲んで、マニバのところにでも行こうかな、、、というところです。 なお、しばらく、HPの更新はありませんので、ご了承ください。バンコクでおとなしく翻訳でもする予定です。 |
大移動
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(2004.12.01)
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11/30 アガスティアテンプルと、クットラムの滝へいって、その後、マドライまでもどり、ご飯を食べて、一応大手の「NPS」のバスでチェンナイのエグモアステーション前で降ろされました。 ちょうど、お客様にいただいた、この駅前の人たちの写真を配るチャンスとなり、さっそく、定宿にかばんだけ置かせてもらい、配らせていただきました。で、また、写真をとってしまいました。終わらない、、、。 で、定宿でトイレを借りて、お礼にあめちゃんt、ちゃい代を渡し、そのまま、バス停にいきました。バス停では念願の「ウプマ」が売ってましたので、そこでチャイとともにかい、遅めの朝食としました。ウプマはうまい!(ミールスうまい!インド万歳!食べ物で困ることがないみやぢ) で、カンチプラム行きのバスに乗り込んで、2時間ちょっとゆらゆらゆられたのでした。 カンチプラムではオーダーしておいた、洋服をもらいにいったら、、、。あれ!ボタンが使ってない!聞くと、マシーンで着けたから、割れちゃって、、、と、普通のボタン。(どんだけ、壊したんだよ!戻ってきたのが少ない)すいません。ボタンは別でお送りしますので、よろしければ、ご自分でつけてください。 後は、お寺にいって、アビシェーガムの予約をしたり(自分でするとなると大変ね)、リーディングの続きしたり、、でした。 |
http://gazone.jp/ |