アガスティアの葉を検証する旅 2007/2/8

この日はドライバーの「奈良嶋嬢」がチェンナイに来る日。昼過ぎの到着でいいよ〜!と、言っていたのであるが、
現地を出る時間を間違えると大渋滞で市内が抜けることが出来なくなるため、朝の5時に出たそうで、、、。
10時半ごろに電話がかかってきて
「30分ほどで着くよ。」

そろそろ古文書研究所に行かなければならない微妙な時間で迷ったが、ここはインド。インド時間を考慮して奈良嶋嬢を待つ事にした。
その待ち時間に近所のゼロックス(コピー)屋でカラーコピーをしてもらおうとするも、、、、。出来ず。
真っ黒な葉っぱのコピーが出来上がった。
「お金はいいよ」
と、言うが、紙も使ってもらってるので1枚=1rsをお支払い。そんなことをしていると、奈良嶋嬢到着。

車で古文書研究所に連れて行ってもらう道中、再度、ゼロックス屋を発見。カラーはだめであったが、真っ黒にはならなかった。
その紙を持って研究所に出かける。

約束をしていた爺さん先生が虫眼鏡を使って再度、葉っぱを見てくれる。・・・・。苦労しているようであったが、何も得るものはなかった。
ヨーガについてペンで書いたようなものだけは読めるようだった。
「コンピューターのデータとしてほしい。そしたらまだ、読めるかもしれない」
とのことだった。が、データにすることが出来ない。
しかしなんと、2/6の日に新しく買いなおした同機種のカメラが、前回と同じように突然、レンズの中でレンズが外れて壊れたのだ!
(心霊現象でカメラが壊れた?!なわけはない。ビデオについているカメラを使うから問題ないのさ)
にはさらにはコンピューターも持ってきてはいなかったので、加工するにも出来ない状態。
カラーコピーを作ることにしたのであるが、インドのカラーコピー事情もつらいものがあった・・・。イ
ンド4大都市の街中に、この爺さん先生と、スタッフと一緒に出かけて、コピーをしようとしたのであるが、、、、。質が悪すぎた。
トナーの状態が悪くまだらになってる。拡大コピーもだめ。スタッフさんが場所を変え、走ってどっかに行って多少ましなのを作ってきたが、
そんなことで2時間以上も使ってしまい、爺さん先生は電車に乗り遅れた。
「一応、そのコピーで、私の帰国までにトライしてみるが、PCで見れる写真データを頂戴ね」
再度、その古文書研究所を訪れる時には、爺さん先生に電話することにして、別れる。

その後・・・

ビルグの葉発見!(ブリグの葉)
って、ほどでもないのですが、チェンナイのブリグの館に出かけてみました。
ここは2003年の7月、AC-TO-WISHさんが、当時、東京の代行者Oさんのお客さんとして出かけ
納得いかない検索の館
ともらしていたところです。ここのオーナーは「セーラム」という町に住んでおりまして、チェンナイは支店です。
チェンナイ支店だからか?ナディリーダーも数も少ないのと、先客がいたためか、みやぢは世間話をさせられました。
みやぢは暇だったので何も知らない一般人のような感じで
「これを見て来たの・・・・」
と、一冊の本を見せながらのお話し。

私の話し相手になったナディリーダーと世間話をしながら
「あなたはここのオーナーですか?」
違うことを知りつつ聞いていたら、写真の人物を指差しながら「この人だよ」と、教えてくれました。
「じゃあ、この写真の人があなたの先生なの?」
「そうそう」
「名前は?」
MATHIYAZHAGAN
「マティヤガーン。マティヤタガン。マディヤーターガン。いや〜。むずかしい発音だね。言えないよ!もう一回いってよ!
(馬鹿な日本人観光客を演じるみやぢ)」
MATHIYAZHAGAN
「じゃ、この写真の人(MATHIYAZHAGAN)の先生は誰?(これが本当に知りたい質問)」
「ヴァディスワランコイルのシヴァサミーのお父さんの<<アルムガン>>だよ」
「へ〜。ヴァディスワランコイルのシヴァサミーって有名だよね。この本にあるアドレスだったらどこがヴァディスワランコイルで有名?
でも、ヴァディスワランコイルは遠いよね〜。行きたいなー!(違う意味で!)」
みやぢは、必要な情報を手に入れました。いろいろな館の情報・成り立ちを調べるには、
この<<アルムガン>>っていう名前はとても有力になるのだ!。2時間近く?待たされたために、話す時間も結構あって、

このアルムガンの弟子には、カンチプラムのDバラスーブラマニアンや、タンブラムのスブラタナン?
などもこのセーラムのオーナーーの同期だそうだ。ちなみに、このセーラムオーナーはシヴァサミーのカズンだって。
どんどんファミリー企業であることが分かってくる。
って、知っていたけど、、、。昔、カンチプラムのシリニバサンが教えてくれた通りである)。

さらに、まだまだ暇だったので、ナディリーダーはある住所をみせながらこんな事を言ってきた。

「前に日本人のアクター(俳優)が来たよ。この人、知ってる???」
その住所は、東京のC市で、O・Nさんとなっていた。
「うーん、そんなアクター知らないなあ」
その名前は知っているが、そんな名前の俳優ではないのでそう答えておいた。
「この人は俳優としてはそんなだけど<<アガスティア・リンク>>なんだよ!いっぱいコネクションを持っているんだ!!!」
(ほほ〜〜!アガスティア・リンクさん!笑。面白いあだ名がついている!!アガスティア・リンクさん!!)
みやぢは白々しく
「もしかして、この人ってアガスティアの葉の代行者のA・Kさん?知ってる知ってる!A・Kさんなら知ってるよ!」

代行HPによると、代行者Oさん=本名=代行者A・Kさんで、A・Kさんのほうが、本当は有名。
しかし、このナディリーダーのノートには本名Oさんが書いてあった。みやぢは思った。

「このアドレスはいつ、書いたんであろうか???」

1・2003年の7月、AC-TO-WISHさんがお客さんとして、代行者Oさんと共に、出かけた時には、
代行者O(A・K)さんの葉はここでは見つからず、セーラムに行ったことになっていた。
2・この2003年の7月にこの館での検索後、このナディリーダーのノートにこのように本名と住所を書いた上で、
セーラムに出かけたのであれば、、、、。

突然、代行者名(芸名)で検索をしたとしても、突然本名が出ても当たり前なんじゃなかろうか???
だって、彼はアガスティアリンクさんって言われているぐらいなんだから・・・。
おまけに、このチェンナイ支店のセーラムのオーナーの先生はシヴァサミーのお父さんなんだから、
シヴァサミーのところのナディリーダーからうわさを聞いていてもぜんぜん、おかしくない・・・・・。

私は、一つ、疑問が解けたような気がしてしまった。
すっきりしたところで、私の検索の番になった。すると、最後にナディリーダーが聞いてきた。
「ところで君の名前は???」
みやぢはすかさず、
「検索して出てくるなら答える必要はないでしょ?」
ほんと、せこいナディリーダーが多いものである。

そして、みやぢの葉っぱも検索してもらったのであるが、このナディリーダーって、、、、。
ちょっと、計算が弱いのかしら??なかなか、名前を出すことが出来ない。
質問に特徴があって、ある行を一切、聞かないのである。その他の行を何度も何度も、聞くのである。
「かきくけこ、さしすせそ、たちつてと、なにぬねの、はひふへほ、まみむめも、やいゆえよ、ヴァヴィヴヴェヴォ。がきぐげご・・・・。
かきくけこ、さしすせそ。なにぬねの・・・・・・・。ぱー?ぴー?ぷー?ぺー?ぽー?。かー?き?く?・・・・」
みやぢの名前の「あ行」を聞かない。うちの父親などもあ行から2つも使って名前が構成されている。なのに、聞かないというのは、、、、、。
非常に辛い検索となるのだ。私は彼の検索の特徴に、早々に気が付いてしまったので、
彼の四苦八苦振りがあほらしいわ、楽しくて仕方が無かった。

そして、なんとか平静を装い、検索終了。みやぢは見つかってよかったよ〜と、感動的に驚いておいた。
演技派検索ビデオの完成である(検索内容はお粗末だけど・・・)!

検索後、お約束の写真撮影。みやぢと、父親、母親の名前が「ここ」にあるという。ま、そんなところはご愛嬌。へ〜っと、関心してみせる。
そして、普通はしないであろう質問をすかさず入れてみた。
「ところで、私の誕生日の1973年はどこにあるの???」
このナディリーダーは、私の西暦を読み上げたのだ。じゃあ、それはどこにあるのだ????ということだ。すると、このナディリーダー
「タミルイヤー(暦)で書いてある。」
と言うではないか!
「じゃ、そのタミルイヤーはどこに?何て書いてあるの???」
すると、一生懸命に探しながら指差していった!
「ここだ!」
「で、タミルイヤーではなんて書いてあるの???」
「ここに<<アーナンダ・イヤー>>と書いてある!!」
ついでに、10月なども聞いてみたのであるが・・・・・。

私は、アーナンダイヤーの生まれではない。
(アーナンダイヤーは、私と数年の生まれの差があるAC-TO-WISHさんが生まれた年なのだ!知っててよかった!)
さすがにそこまでは裏で計算しておかなかったナディリーダーのミスである。このナディリーダーが作っていることは完全に証明された。
セーラムのビルグの葉も、こんなもんだろう!本店(ヴァディスワランコイルのシヴァサミーの館)ともアガスティアリンクがあるようだし、、、、、。

彼を見てると私のデータをせっせと紙にめもりはじめた。

翌朝、取りに来る事を伝えたうえで、帰った。結局、夜の8時過ぎまで蚊の多い館にいたのであった。

みやぢ
<「アーナンダイヤーには参りました〜〜〜!くっくっくっく。あっはっは!」

※ここに載せられているインドでの内容は、すべてみやぢ自身によりビデオで撮影され、証拠として記録されています。
その映像を確認しながらUPしています。