アガスティアの葉を検証する旅 2007/2/19

「行きますよ〜」
電話で予約していた古文書研究所に出かけた。すると代わりの人が来て相手をしてくれた。
約束していたじいさん先生は、急用ができたらしい。
タンジャブールで葉の写真をコピーをした時に、一緒に作ってくれていた葉の写真CDを渡してもらうようにチップとともに渡してお願い。
「爺さん先生に電話して!」
と代わりの人がいうので、電話をする。
「予定のものは受け取ったし、代わりの人に渡しましたよ〜、、、。」
すべての予定が終わった。

チェンナイには海がある。海に行ってみた。ビーチには屋台がいっぱい。
海岸まで200mもあるような砂浜で、歩くだけでかなりの体力がいる。
屋台が続く中に2羽「占いインコちゃん」がいたので占いの代わりに写真を撮らせてもらった。
ビーチでは足だけ海に浸して終わり。

スペンサープラザに出かけ、ネット。
ネット屋でもあり、両替店の店長でもあり、また日本などへの輸出などもしているマルチな兄ちゃんとなぜか世間話。
私の苗字を言ったら、日本に行ったときの写真を見せてくれた。
広島とかにも行っているらしく「厳島(宮島)」にも行ったよ〜。だって。

このインド人は「みやぢま」でも「いつくしま」でも、きちんと理解しているのに、数日前にであった、
あの占い師のヨウムさんは、「みやじま」も「いつくしま」も理解できずに、「みや〜みや〜」と猫の鳴き声で、
「みやぢ」を説明。きちんと理解できるようなインド人とこのような場所でであったってのは、やっぱり不思議なご縁よねえ。
ヨーロッパとかにもかなり出かけているらしい。

スペンサープラザで最後の「パニプリ」を食べて、ホテルへ戻った。そして、夜の10時にチェックアウト。

今回は私がインドにいることをほとんどの人が知らない。
前回2006年の12月に、私を警察に売ろうとしたシヴァサミーもカルティックも、こんなにすぐ私がインドにいるなどとは知らない。
私は安心して空港に向かい、安心して出国カウンターに行く事ができた。