みやぢ日記

パスポート&インドビザの話
(2004.02.24)
 パスポートが7/22で切れる。残り3ヶ月あれば、バンコク、マレーシア、シンガポールも出入りできると思っていたのだが、一応確認のために、いつもお願いしているマップインターナショナルのOさんに電話して、確認とった。
「あ、駄目ですよ!インドに行って帰ってくるだけだったらいいですけど、途中に他の国には寄れませんよ!」と、言われた。
「えー、そうなんですか?」と、急ぎパスポートを取る事にした。「インドビザはどうなりますかねえ?」と聞くと、前のパスポートと二冊もってあるけば、いいよーっとのことだった。
 が、大阪のインド領事館に電話すると、
「VOIDって穴があいたパスポートにくっついているビザをつかうんですよねえ、やばいですよ。危険です。新しいのに付け替える事はできますよ。今残っている、期限までしか、使えませんけど、、、それか、新しいの取ってもらうか」
と、言われてしまった、、、「えー、こんなにぎりぎりになって、そんな事いわれたって、、、現地集合しなきゃいけないのに、もうかえれないじゃん!!」と、Oさんに助けて電話をしてみる。(帰りにディズニーに行くために)成田発着なので「ビザは東京で取るんですよねえ、だったら、そのままパスポートは東京支店のマップで拾うので、間に合いますよねえ。パスポートは27日にできます!」
「確認とってみますね!」と、ぱぱーっと調べてもらい、5日にはできますよ!との事。ほっとする。
 現地集合の子に「夜中着、一人初インド」という悲惨な目にあわせずに済みそうだ。

そんなわけでして、新しくビザも伸びるはめになった。時間もたっぷりあるので、マニバのところでのんびり出来上がりを待とうと思う。
 しかし、ビザとったりパスポートを結局取るんだったらなんのために、急いで3月に行くんだ???3/5には借りてるマンションを出なければいけなくなって引越しもあるのだ(超多忙、みやぢ)。通常のペースなら6月でもOKなはずだったのに、、、。今現在の私は、自分の予定で動けてはいない。このパスポートの件にしても、葉を開く前の5年前に立てた、予定からはずれている。おかしい。私的にいうと時間にずれが出ている。私の5年前に立てた予定より、いいずれで正しい人生を歩かせるための修正なのであろう。と、思いたい。思うしかない。思い込もう!
 が、そういう状況でも希望通りの、飛行機が取れた。ぎりぎりでもすべて片がつきそうだ。少なくとも、ビザが伸びたおかげで時間に追われず、いい仕事が出来る。それだけが救いだ。
 それにしても、今回のインド行きは、おかしすぎる!!!早すぎる〜。でもそのおかげで前回より人数が少ないので、○○であるが、苦しみが減ったからいいかなーってところである。

サラリーマン・カルロス
(2004.02.16)
今朝から、会社に出勤しました。

山積みの書類、鳴りっぱなしの電話を目の前に、
”やはりインドでは平安だったんだ〜”
と”社会復帰”に苦しむカルロスなのでした。

しかし、今回つくづく感じたのは、”神様はもの凄く面倒見がいいのだけれど、一見知らんぷりしている”ということでした。

リゾートモードのカルロスを、様々な偶然で日本人グループで包囲し、右足に期間限定でマメを発生させる。最終日には”期末テスト”まで準備していて、旅行会社までハラハラさせてしまう・・・。

そもそも、アガスティアの葉には、インドに行くと平安を得られるけれど、国内でも得られるよ、と書いてあったのでした。

今から読み返すと、修行に来るなら、よーく面倒見てあげるけど、行くかどうかは自分で決めてね!
と読めなくもない・・・。

というか、神様的には、人間として生まれてきた以上、修行を行う事が前提になっているみたいなので、”修行した方が良いですか?”等という質問はナンセンスだったのかもしれません。

しかし、”平安が得られる”というので、リゾート気分でインドに行ったつもりが、行ったら実は体育会系の合宿だった、という気がしなくもありません・・・。

そもそも神様のいう”平安”って何なのでしょうね?

それでは!
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みやぢ追伸:心の平安
カルロス君が最初に、”神様はもの凄く面倒見がいいのだけれど、一見知らんぷりしている”と、書いているが、すでにここに答えはあるのではないだろうか?「神様は助けてくれない、助けてくれない」と普段思いがちだが、実はいつも面倒を見てくれているのだ。それを体験して気がついた事により、心にいつも神を思うことが出来るようになったのだ。平安平安、心穏やかでございます。

神というような存在はそのときに一番ベストな結果を与え続けている。神にとっての(学びのための)ベストな結果でも、本人にとってはベストではないかもしれない。しかしだ。全託ができるようになると、自分はベストを尽くすだけでいいのである。結果は神様の言うとおり、なのである。面倒見のいい神様はベストを尽くしたあなたにベストな結果を授けるであろう。それが受け入れられるかできないか、ではないだろうか、、、すべてがうけいれられるようになると、苦しみからも解放されるんだろうなあ。

わたしはこの全託という言葉と説明を聞いた時、そしてそれをはじめて実行したそのときから、神という存在がとても、近くなっていった。いやなことも大変なこともあるが、目の前にあるものをこなさないことには終わりは来ない。
 高い目標も確かに大事ではあるが、目の前にあるものすら、超えられなかったら大きな目標も超えられないだろうなあ(あ、これは翻訳やってるときに、あまりの量の多さでつらい自分を励ましている図。まだFさんのが終わってないよー、と愚痴を書く。あと1.5章だ、、、がんばれみやぢ〜)

最後に”テスト”が待っていた〜
(2004.02.15)
カルロスです。無事帰国致しました。

プッタパルティで、日記を書き終えてから、最後のダルシャンに向かったのですが、そこでは、”テスト”が待っていました・・・。

もう修行も終わった気分で、気楽なにダルシャンを待っていると、”定刻”の15時を過ぎても、サイババが出てくる気配がありません・・・。

その内、16時近くになってきてしまいました。

旅行会社の人とは、午後のダルシャンが終わってから16時くらいに迎えにきてもらう予定になっていました。

まずい・・・。

”10分位遅れても、いいか・・・”と少し粘っていると、16時5分過ぎになって、ダルシャンが始まりました。

”あ〜良かったあ。最後にサイババに会えた!”

と思うのも束の間、今度はスワミの車がやたらに遅い。こんな時に限って、あっちこっちで停車して手紙を受け取っている・・・。

”仕方ない、ダルシャンを途中退席するか!”と思うものの、マンディールにいる1万人近い人達の視線は、もの凄いエネルギーでサイババに集中しています。みんな様々な背景を背負って、はるばる世界中からここに来ているので、みんな必死にスワミを追いかけているのです・・・。

”とても退席できないよ〜”

それでも途中退場のタイミングをうかがってはいるものの、相変わらずスワミの車はノロノロ運転。まあ、ダルシャンだから当然なのですが・・・。

ようやく、サイババが車を降りて、学生達と何か話を始めた時、ちょうど柱の陰になって、私の位置からは(サイババの姿が)見えなくなりました。

私の周囲の人達もサイババが見えなくなっています。
”今だ!”と抜け出しました。

それでも16時半を大幅に過ぎしまい、大慌てでシェッドに戻り、着替えを済ませて、荷物を持って、(シェッドを)出たものの、17時近くになってしまい、”ちょっとヤバイなあ”と思っていたら、ちょうどシェッドを出たところで、
”すみません〜遅くなりました!”
という旅行会社の方の声が聞こえました。

実は、旅行会社の車が途中でアクシデントがあり、1時間遅れていたのでした・・・。

”うわあ、まるでサイババ関係の本で見たような話だ・・・。”

再び旅行会社の人と一緒にマンディールの近くを通ると、ダルシャンが終了し、バジャンまでの休憩時間になっていました。

と、いうことは・・・。

ダルシャンを途中退席しないで、最後まで受けていても、実は間に合ったのでした・・・。

とはいえ・・・

下手すると、日本に戻れなくなるかもしれない状況の中で、そんな”期末デスト”しないでよう!

と、帰りの飛行機のなかでぼやいていたカルロスなのでした・・・。

最後のダルシャン
(2004.02.14)
アシュラム前のインターネットカフェよりカルロスです。

早いもので、午後のダルシャンを残すのみとなりました。
夕方16時過ぎにプッタパルティを出発して、日本に帰ります。

さて、今朝、右足に異変が・・・。

早朝のダルシャンに向かおうと、サンダルを履いた時、右足のマメが消滅している事に気づきました。昨日くらいから少し痛みは退いていたのですが・・・。

日本に戻る事を考えると、ほっとしましたが、いまさら何処にも遊びにいけないよう・・・(涙)。

さて、肝心のダルシャンの様子を、あまり日記に書いていませんでした。

今週のサイババは、とってもトリッキー。

朝は7時、午後は15時、というのがダルシャンの”定刻”と言われています。

ところが、ある日突然、”定刻”の15分前にダルシャンを開始したり、また”定刻”1時間半くらい過ぎ位にダルシャンを開始して、途中でマントラの輪唱のストップの指示を出して、そのままバジャンに突入したりと、セバ達も大わらわでした。

ところで、通常バジャンホールに入るのは、サイ大学の学生やオーガニゼーションの長老達に限られていましたが、今週は、男性側に限り、我々外国人にも開放されていました!

”開放される”、というと聞こえが良いのですが、バジャンホールはそれほど広くはありません。なので、人がバジャンの列に殺到し、さながら肉弾戦です。もっとも、その後くじ引きが待っているのですが・・・。

ただし、そこで席を確保しても、油断は出来ません。

何とか席の確保に成功し、セバの指示通りに、順番に入場していたのですが、私の3、4人前の人がバジャンホールに入ろうとした瞬間、バジャンが開始してしてしまいました。もちろん”定刻”前でしたが、セバも苦笑いするばかり。

それが”神のご意志”、ということで結局入場出来ませんでした・・・(大涙)

あ、何とか別の日に入場出来ました(笑)。

と、いうわけで、修行以外何もしないまま帰国の途に着くことになりそうです・・・。嗚呼。

それでは!

エピソード1
(2004.02.13)
カルロスです。

エピソード1
初日に初めてシュエッドに着いた時のこと。
どの外人も、瞑想やらヨガに耽っていて、ちょとヤバイ場所に来ちゃったかなあ、と思っていると、
”やあ、また来たんですか?”という声が・・・

昨年来た時に、たまたま10人程度の日本人グループに紛れ込ませてもらっていたのですが、その中の一人が同じシェッドに宿泊していました。

いやあ、ほっとしました・・・。
が、同時に嫌な予感が・・・。

予感は的中し、当然のように、日本人グループに強制連行され、夕食後も(日本人グループの)バジャンに参加することに・・・。

”ぷらっとインド一人旅”だったのに・・。

エピソード2
初めて、このネットカフェにやって来たときのこと。

日本語環境のPCがあるか確認しようと、
”Japanese OK?”と聞いてみたところ、
店の奥から
”使えますよう!”という声が・・・。

たまたま、メールを打ちに来ていた日本人の先客がいて、その方が(日本語環境の)操作法を教えて下さいました。

エピソード3
昨日、夕食後に、日本人グループのバジャンに連行、いや失礼、参加する為に、部屋のドアを開けたら、エピソード2でインターネットカフェに居た日本人の姿がそこに・・・。
たまたま、ダルシャンの際に、席が近かったので、誰かが声を掛けて、参加することになったそうな・・・。

今回のインド旅行は、何か仕組まれているような気がしてならない・・・。

まあ、アガスティアに旅行のお伺いを立てた時点で、すべては決まっていたのかも・・・。

”インドに旅行した方が良いでしょうか?”と尋ねたのは確かですが、何もそこまで段取り良く手配しなくたって!とみなさん思いません?

と、いうわけで、
今回の旅行は、思いもよらない方向に進行しております・・・。

そういえば、今朝のヒンドゥータイムスの1面記事は、昨日のパジバイ首相の表敬訪問の様子が、写真入りで掲載されていました。

それでは!
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余談 パジバイ首相について(みやぢさんのつけたし)
パウエル米国務長官は早くも9月28日、米国としてはインドに対する派兵の要請を断念したことを明らかにせざるを得なかった。ブッシュ大統領直直(じきじき)の要請にもかかわらず、パジバイ・インド首相が首を縦に振らなかったからである。

こういう首相である。

インドの首相が来た!
(2004.02.12)
お疲れ様です。

アシュラム前のインターネットカフェより、カルロスです。

どういう訳か、足にマメが出来てしまいました。

アーユル・ヴェーダどころか、マンディールに入り浸りという、本当に修行生活になってしまいました・・・。座禅を組んでる分には、差し支えないので・・・。

さて、2日位前から、鉄砲を持った警官がアシュラム内に数多く見受けられるようになりました。

事件でも起きたのか?と思っていたら、何とインドのパジバイ首相が、表敬訪問に現れました。TV局や記者等も大量に来ていました。きっと、インド国内のニュースには流れているのでしょう。

もっとも、首相の周りに警護が多いのと、マンディール内は人が多すぎて、政府高官っぽい人たちがたくさん来たなあ、位にしか見えませんでしたけれど・・・。

さて、今回はシュエッドに宿泊しています。てっきり個人部屋だと思っていたので、ちょっと焦りましたが、思いのほか快適です。一番新しく出来たシェッドらしく、トイレ(水洗!)シャワーが5つずつ完備しています。なので、まあ、学生の合宿所の雰囲気です。

私の宿泊しているシェッドは全員外人(インド人以外)ですが、いつシュッドに戻っても、ヨガの練習しているか、瞑想しているか、サイババ関係の本を読んでいる外人しかいません・・・。ただ一人、チェスの相手を探して、うろうろしているアメリカ人がいますけれど。

私の隣は、ベネズエラ出身、その隣はドイツ人です。3人に共通しているのは、英語が苦手なこと!結局、話が3人とも理解出来ず、サイ・ラーム!で誤魔化しています(笑)

そうそう、サイ・ラームとは、アシュラム用語で、こんにちは!程度に使っています。

何だか、座禅を組むために合宿に来たみたいな旅になってしまっています・・・。

ま、それもいいか。

それでは!

サイババ体験カルロス日記
(2004.02.09)
カルロスです!

今、プッタパルティのサイババのアシュラムの目の前のインターネットカフェにおります。

今回で、インドは3回目なのですが、来る度にインドが急激に発展しているのが実感出来ます。バンガロールからプッタパルティまでの道路も、昨年と比べてもグッと良くなりました。何と時速90キロ近く出していた場所もありました。日本の高速並みです。聞くところによれば、この5年くらいで主要都市をハイウェイで結ぶのだそうです。

ただ、中央分離帯が無いので、インド式の荒っぽい運転で対向車とすれ違うのは、かなりスリリングです。

さて、スワミですが、噂通り、ダルシャンは乗用車でした。
右ハンドル車(日本と同じ)の助手席に座っておられます。

それを知らなかったので、運転手しか見えなかった・・・。

さて、そろそろ午後のダルシャンに戻りますね。

それでは!

増上寺見聞録(とりあえず、行ってきました。)
(2004.02.04)
以下の内容は、ややオモシロオカシク書きましたので、不適切、不快な内容を含むかもしれませんが、広い心でお許しください。

2月3日
朝バイトから戻り、パソコンを開く。一通り、お気に入りを見た後、GAZONEに行き、連絡事項を見る。ここで、やめておくべきであった・・・・

まーた、日記に変なこと書いてんじゃねーか?そう思って、そこをクリックしたのが、マチガイであった。なになに、ヨロコビの民の皆様?節分会・・・、増上寺?・・・、感想?はて? 今日は何日だっけ?徹夜明けでぼけている。ガーン、2月3日って今日じゃん。しかも、ここから増上寺までは、1時間弱くらい。いまから行っても、12時30分には余裕で間に合う。タイミングが、どんぴしゃすぎる。やばいよ。 やばすぎる。あー、見なかったことにしよう。いったんは、そう思ったものの、そういえば、この前、無理してサイババのところに行くように暗にそそのかしたよなー。はいはい、行きますよ。 いけばいいんでしょ。(アスカちゃん、オレは徹夜明けなんだよ・・・)

というわけで、12時ごろ、増上寺に到着。すでに、多くの人がつめかけていた。へー、結構でかい寺だなー。なになに、浄土宗の寺なのか?初めて知った。 確か、うちは、浄土真宗だったよなー。 親戚みたいなもんか。

大殿とよばれる建物の前に臨時の舞台が作られており(けっこうでかい)、落語家の人が司会をやっている。まわりを見ると、子供ずれの主婦や、外国人観光客、昼休み?のサラリーマン、お年寄り、などさまざま。12時ごろから、お囃子のなか、もちがつかれ、そのあと、福豆とよばれる小さな袋に入った豆が、掛け声とともにまかれる。中には、なにかのペアチケツトや、あたり券などが、入っているそうで、人々は、我先にと舞台の前にいき必死にそれらを、ゲットしようとしていた。一種異様な光景である。オレも、ゲットしようかとおもったが、なにせこの人だかりである。とてもあの中に入る勇気はない。遠目で、見ているだけであった。

その後、鬼の扮装をした人と、幼稚園児30人ぐらいとのアトラクションがあり、

いよいよ12時30分である。
キャラメルコーンのおおきなかぶりものを、かぶった人が現れた。ところが、司会の人がもっと舞台の前のほうに進むようにいっているのだが、このキャラメルコーン君は、動かない。どうも、かぶりものに前をみるための穴が、開いてないらしい。しかたなく、係りの女性に先導され、前に出た。ちょっと、悲しかった。
その後
大僧正と言われる人も出てきて、その年の年男年女、など大勢のひとが、福豆のほか、多くのものを掛け声とともになげたのである。その中には、もちろん”ハバネロ”もあった。まだ、投げるようであったが、当初の目的はほぼ達成できたので、

12時40分ごろ寺を後にした。
帰りに、”ハバネロ”を買って食べる。確かに、からいー!
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※この日記は、わざわざ「増上寺」へ行ってきてくれたYさんによる「暴君ハバネロ日記」です。ヨロコビの民として、できれば、ハバネロは買わずにががーっと、前にいって、取ってきてほしかった。あー、行きたかったよー!平日じゃなかったらいったのに、、、。このためだけに!

小桜インコのももちゃん!
(2004.02.03)
ももちゃんをななちゃんのかごにいれた。ななちゃんの小屋には面白いものがいっぱいある。がじがじにかまれて蓋もなくなった巣箱や寒い夜にもぐりこむ、みやぢさんにもらったあったか毛糸のお帽子。ももちゃんのおうちにないものがわんさか入っているので、いたずらインコのももちゃんにはうれしかったようだ。
 で、ななちゃんと一緒に、みやぢさんにもらったあったか毛糸のお帽子にもぐりこんでいたようだった。
 
そして、あったかな時を、ずっと過ごしていると思ったら、、、、

ももちゃんは、その毛糸の帽子から出れずにもがいてしまっていた。
 ななちゃんは毛糸の帽子にあなをあけて、出口まで作っているし、自分の寝床なので、勝手知ったる自分の家、としてぬくぬくしているのだが、ももちゃんは毛糸の帽子が二十になっているところにはまり込んでしまって、出口が分からず、真っ暗ななかもがいていたようだ。あのまま気がつかずに、まだ入ってると、放置されていたら、死んでしまうところであった。

ちょこーっと、知恵があって、いたずら心のあるインコは人間の子供と似ているのかも?!

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