2006/12/9・10シンガポールフリー&11夜帰国
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(2007.01.11)
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特にやることもなく、どこかに行きたいところもないし、買い物したいものもないし、、、、。しかし、宿の近くには観光地?にもなっている、泥棒市場?というか、フリマスペースがあって、そこが一番のお気に入り。掘り出し物はなく、いつみてもガラクタばっかりなんだけど、なにかあるかも!という期待だけはさせてくれる。そこの道をそのまままっすぐ歩いていけば、アラブストリート。でも、行かない。右に曲がって、ブギスをめざすのだ!そこで、いつものお約束甘辛お菓子とかんかんドリアンを買う。元・翻訳者さんのリクエスト。このドリアンはタイ産「SIAM」っていうメーカーなの。いろいろドリアンスナックは買ったけど、ここのメーカーが一番。「SIAM」のライチやランブータンのほうが私は好きなんだけど、シンガポールには売ってないのだった・・・。そして、ブギスビレッジの前にはパルコ。Tシャツを買う。都会的な格好になるのだ!?そして、ラッフルズシティへ。ぞうりしかなかったからセールになってたティンバーランドで靴を買う。さすがにぞうり帰国では寒いからね。 出かけるところといえばいつもどおり。そして、インターネットカフェで3―4時間も過ごしていた・・・・。地下鉄のってどっか行けばいいのに、咳で体力もなかったのでどこにも行きたくなかった。早く日本に帰りたくてしょうがなかったのだ! そして、11日の夜 タクシーに乗って、空港に向かい、シンガポールを出た。シンガポール航空はシンガポール―日本路線も言えばちゃんとベジタリアン食。ハムエッグサラダサンドイッチハムエッグなしが出た。飲み物も必要以上に歩き回ってくれるのでオレンジジュースを何度も貰った。さすがサービスの素晴らしさNO1だけある。エコノミーでも快適快適。そして、12日の朝、日本に無事到着する事ができ、いろいろあった約3ヶ月の長旅を終えたのであった。 |
2006/12/9 朝のシンガポール空港
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(2007.01.10)
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みやぢはシンガポール時間、朝5:20に到着。掲示板を見ると、AC-TO-WISHさんの飛行機は5:55に到着になっている。そして、G22が彼の次の飛行機だ。ということで、G22に移動。途中、日本語が打てないフリーインターネットで遊んで時間を潰す。 何度かG22に行ってみるもAC-TO-WISHさんは見つからない。何してんだろ?と思って、G22へ向かう入り口の辺りで待っていたら、いつのまにかG22の前にいた・・・。ということで、無事、お互いにインドから出ていたことを喜び合い、お約束どおりAC-TO-WISHさんのおごりのコーヒーで乾杯!みやぢはお礼にのど飴とお水をあげた。AC-TO-WISHさんは咳がどんどんひどくなってしまっていた。(最初っから咳してたからみやぢのせいじゃないと思うよ。)7:30過ぎぐらいまでお茶をした。 AC-TO-WISHさんは日本へ直行。シンガポール航空って大阪行きの飛行機は朝出発で、インドからだと待ち時間が2―3時間なのに、名古屋や東京行きの飛行機は夜出発・・・。1日空港で時間潰すのって辛い。どうせ空港外に出るんだったらと、みやぢはシンガポールで降りて2日ほど過ごす。 「あ〜、みやぢの機内預けの荷物は今頃、下で放置されてる〜。誰かに持って行かれたらどうしよ〜」 お茶をしている間にも、かばんは出てきていたのだが、問題なかった。私以外の人も空港でまったりしている人がいたのだろう。他にもかばんが置いてあった。 空港からはタクシーに乗り込み、いつもの安いホテルへ向かう。やっぱり都会はいいね。きれいな道、安心できる人間性。インドにはないものである。ホテルの夜勤スタッフの子もまだ働いていたので、インドのお土産を渡す。よくよく聞いたらチャイニーズマレーシアンらしいので、中国語話せるよ〜って。 「ニ〜ハオマ〜」 会話にはならないから、やっぱり英語でいいや・・・。 |
2006/12/8 インド最終日
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(2007.01.09)
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特にやることもなかったみやぢは、まったりのんびり起きた。インドに戻ってハイダラバードからの移動から、ずっとハードに動いていたのだ。おまけにしゃべりすぎのためか声が変になっていた。やっと一人になってほっとする。時計を見ると、昼近く。 「AC-TO-WISHさんはプッタパルティか〜〜」 メールをしてみると、サイババは出てきたとのことでダルシャンにも与れたそう。共通の知り合いにも会ったそうで・・・・。そして、キャンティーンでの食事もして、ほんの数時間のアシュラム生活を楽しんだそう。ドライバーさんはお疲れだったそうで、AC-TO-WISHさんのホテルで爆睡だったそう。前日の夕方、みやぢと別れたあとも、ティルワンナーマライへ行って、シヴァテンプルやらラマナアシュラムの観光、そして、ギリバラン(歩き2km残り車)後、バンガロール経由のプッタパルティ。朝の6時ごろに着いたそうだが、延々と走ったそう。 ドライバーさんは、適度な睡眠、そして、AC-TO-WISHさんとガイド君はサイババアシュラムでリラックス。そんな幸せげな話しを聞く傍らみやぢは部屋でくすぶっている・・・・。結局、3時近くまでのんびり荷造りをしてから食事。 何をする事もせず、ホテルで過ごすのもとやっぱりもったいなかったので、歩いてスペンサープラザへ。最後にインドのお菓子などを買っておいた。最後の最後まで、荷造りをし、空港に向かう。 テロチェックにより、チェックイン前のかばんセキュリティーがかなり厳しくなっており、人が入り口周辺に詰まっていた。他を見ると、同じ飛行機に乗る人もいるから遅くなっても大丈夫だろうと安心する。しかし、本当は安心などしていられなかった。あの青山さんのようになって、出国出来ないかもしれない・・・・。そんな不安があったのだ! ナディリーダーたちのコネクションにより、空港で警察などにひっぱられたら、、、。そんな不安があったのだ。バンガロールの空港から、私より30分先にインドを出国する予定のAC-TO-WISHさんに電話すると、 「僕はイミグレ通りましたよ〜」 と、言っている。イミグレとおれば、治外法権。大丈夫だと思うけど、万が一の事がある・・・。イミグレを通るまでが長く感じられた。 そして、私も無事にイミグレを通過。その後は私のほうが、先に飛行機に乗り込む。なんと、AC-TO-WISHさんの飛行機には遅れが生じたのだ。 「あ、ごめんね。みやぢは飛行機に乗れたから!君のところはまだ、追っては来ないかね?君がじぇいるにでも入ったら、面会には行かないよ!あ、Aちゃんと見に行ってあげようか?賄賂がいるらしいから、お金も渡してあげるわね」 と、洒落にならないような洒落をいう。しかしその後、彼も飛行機に乗ったと、連絡が!なんにしても、ほっとした。あの人が最後、どういう気持ちで飛行機に飛び乗ったのか、、、、。ちょっとだけど理解してしまった・・・。 「じゃ、シンガポールで会えたら会いましょう!お茶をおごらせてあげるよ!君のトランジットゲートで待ち合わせね。」 |
さらに東京のとあるアガスティアの葉の代行者さんにここで真実を話す 番外編
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(2007.01.05)
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すばらしい検索をすると言われるTナディリーダー。そのTナディリーダーの検索後の、、、、、。通常、ビデオで渡されることのない部分を検証してみる。 Tナディリーダーは、S館長が戻ってくるまでのAC-TO-WISHさんの時間稼ぎ用にと開いた、みやぢのお手伝いでずっと翻訳チェックをしていた翻訳者さんの葉?を探したのであるが、突然といえば突然の翻訳者さんの検索。みやぢは誕生日などのデータを聞くことは出来ても、指紋を持ってきていなかったので、AC-TO-WISHさんのものを押してもらっていた。 検索の途中、AC-TO-WISHさんの背後にある廊下にKナディリーダーが何度か立ったそうだ。その廊下からは、ガラス張りになっている検索ルームが丸見え。ガラス越しにAC-TO-WISHさんが持っているアンケート用紙を覗き込むことが出来るのだ。私が事前に注意をしていたため、AC-TO-WISHさんのガイド君も彼らの行動を注意して見ていたので、Kナディリーダーが実際に立ったことに驚くことなく、笑いながら教えてくれた。 アンケート用紙はもちろん、<<ローマ字記入のふりがなのもの>>をつかった。そのような状況で苗字付きで見つかったのであるが、そのインデックスリーフの写真は後日、改めて一枚の葉に戻した状態でチェックしてもらおうと思っている。 まずは、すばらしい検索をすると言われるTナディリーダーが、葉を見つけた後の、、、、、。通常、ビデオで渡されることのない部分を見る・・・・・。あえて検索が葉が見つかってもビデオをまわし続けてもらった部分・ずっとほしかった秘密の部分である。 結果を簡単に言ってしまうと、、、、。 ビデオの中のTナディリーダーは翻訳者さんのデータを黄色のノートではなく、Tナディリーダーのメモノートに一生懸命メモを書き込んでいた。そのメモを書き込む姿は、一切、葉を見ることなく、検索の過程で聞き出し、頭に記憶している事を書き込んでいるようであった。また、翻訳者さんのホロスコープも同時にそのメモノートに書いていたのであるが、葉からホロスコープを見つけて書いたのではなく、インド占星術・ホロスコープ年鑑(意味が分からない人は・春日秀護さん著の「インド占星学」の最後のほうのページを見て下さい)を見ながら写していた(ホロスコープはアセンダントを後で調べなおせば完成である)。全く、葉っぱなどは関係ないではないか!! これを見ていたら、どうみても翻訳者さんの分は、葉を写すのではなく占星学で作るのではないだろうかと、疑いはぬぐえなかった。(っていうか、インデックスリーフすら見ることなどしてない・・・) Tナディリーダーは、翻訳者さんの生年月日や名前などを読み上げたが、名前くらいは細工してあるかもしれないが、おそらく、生年月日や職業までは、書いていないように感じられた(専門家に見せてから正しい事が言えるが、、、)。 このようなみやぢの解説付きで検索ビデオを見せられたうちの翻訳者さんは、「もういいって!」・・・・。逆にお金を払ってまで葉を開かなくてよかったのだろう。インデックスリーフとやらのデータだけ頂く事が出来て、私も満足である。 |
2006/12/5 東京のとあるアガスティアの葉の代行者さんに真実を話す 5
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(2007.01.04)
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AC-TO-WISHさんとよくしゃべるようになったのは、今回の旅を通してであるが、ちょっとびっくりするような事を教えてくれた。 AC-TO-WISHさんがまだ、お客さんだった頃の2003年の7月、この東京の代行者Oさんと共に、インドに出かけた時、 「実はこの代行者Oさんの部屋の壁に、あの日本のグルジの住所が貼ってあったんですよ!」 私は驚いてしまった。だって、HPにはとある地域に住んでいることと、ナディリーダーたちから聞いた話ししか書いていなかったから。 この私でも、そのとある住所について、ナディリーダーから聞いた。そして、その場所に出かけた。S館にはほとんど出入りしていないこの私が住所を知っていて、なぜあの代行者Oさんが知らないんだろう???ナディリーダーに聞かないはずはないのに。。。。ずっと思っていたら、ACさんは「僕、見ましたよ!」というのだ。という事は、2003年の7月から知っていたことになる・・・。(鞍馬寺に行ってもカルマ解消にならないことは知っている・・・という事になる=普通なら正しい場所に行き直さない?すぐにも会うべきってご自分のHPに載ってるけど、、、) AC-TO-WISHさんの勘違いかもしれないので、再度、この機会に 「確か、OさんってXXXXさんの住所、ナディリーダーから聞いて、壁に貼ってましたよね?(Oさん:同意)。なんで、会いに行かないんですか?」 と、聞いてもらった。東京の代行者Oさんは行かない理由を答えていたが、ここには載せないでおきます。 やっぱりOさんは聞いていたんだ・・・・・。それを知ったみやぢは、Oさんは真実を知っているのに知らないふりをしているのかな?と思ってしまうのであった。 ACさん「彼らの実態について、話すべきこと、伝えるべき事は伝えました。別に僕がOさんにどうこうしなさいっていう権利もありません。すべてOさんの自己責任で決める事だと思います」 そういって、マドゥライー東京の代行者Oさんの電話ラインを切った。 もし、代行者Oさんが知りたいことがあって聞く耳を持ってくれれば、出来る範囲で話す準備はある。でも、今はそのような状態ではなさそうだった。 「私達が今回、Oさんにどうして電話をすることになったのか、、、、、」 深い意味を知るのはいつの日であろう・・・・・。 |
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